2019年12月 キューバ女一人旅⑰ ~カバーニャ要塞はハバナで最もゲバラが濃いスポットだと思う
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こんにちは。えるぞうです。
当然来た時と同じく歩いて20分ほどかかるわけですが、経路がわかってるので復路は気楽です。
前回の記事 ↓↓
特に波乱もなくカバーニャ要塞に到着。
(暑い以外は)
前日、50cuc札を出したら取りつく島もなかったチケットカウンター。
今日は小さい札を用意していたので無事チケットを購入できました。
料金は6cuc、18:00以降は8cucです。
カバーニャ要塞は旧市街から運河を挟んで対岸にあるカサブランカ地区にあります。
海に面して最前線にあるモロ要塞の隣にあります。
要塞をふたつ並べて作るのって意味ある??などと個人的には思いますがとりあえずスルーで。
ともかく、カバーニャ要塞は1763年よりスペインによって築かれ、その後は革命政府によって刑務所として使用されたりしていたようです。
そして、チェ・ゲバラは司令官としてここで勤務し、旧政府の要人の処分を指揮していたそうです。(←重要)
開口部(?)に萌えます。
要塞である以上敵に攻め入られないような構造になっているわけで、堀があり中に入るためにはね橋があります。
現在は残念ながら固定されているようです。
「スペインのカルロス3世が作ったよ」的なことが書いてあるんだと思います。
双頭の鷲の紋章がないなあと思ったら、この時代はブルボン朝なのか。
大航海時代+スペインというとハプスブルグ家のイメージですが、カバーニャ要塞が築かれた時代はもっと後世ですね。
おお~~素敵です!!
やっぱり要塞内部は同じような造りですね。
モロ要塞などと比べて建物が低いので解放感があって明るい感じです。
建物はバーやお土産屋などに使用されている部分以外ほとんど公開されていないようです。
ただの穴でも廃墟でもいいから見せて欲しいです…
大砲の儀式は夜なので見られませんでした。
大砲を撃つ前に当時の扮装をした兵士による一連の儀式があるそうです。
それは見てみたかったなあ…
さて、がっつりした展示を。
運河に面した側にある建物でゲバラの執務室だったのだと思います。
部屋の様子といろいろな展示を見ることができます。
ホント絵になる男ですね。
入ってすぐのところ。
いや眼福眼福。
こういうのお約束になっているのでしょうか。
今まで見た中で悪くはない方ですが、強そうというかちょっと怖そうな気がします。
内部は部屋というより廊下みたいな細長いギャラリーのようになっていて、写真や小物などの細かくてそれぞれが非常に興味深い展示がたくさんあります。
全てを記録しておきたい気持ちはあれどもキリがないので、特に心に残ったものをいくつか。
ゲバラのパスポート。
まだ若い頃のものでしょうか、ゲリラ活動のための偽造ではないようです。
若々しくてカワイイ。
でも髭がないとイケメン度は落ちると思います。
やっぱゲバラは髭がよく似合いますね。
泣ける…
元気そうでよかった、ていうか最も気持ちが乗ってた頃でしょうか。
序章ですね。
結婚式。
2度目の。
幸せそうなゲバラが印象的です。
「女を好きにならないくらいなら男をやめる」と言ったとか言わなかったとか。
そういうところもカッコイイです。
「英雄色を好む」と言われますが、盟友のカストロも女性関係はなかなかのものだったらしいです。
超多忙のはずなのによくそんな時間あるなーと不思議に思います。
広島来訪時のゲバラ。
「なぜ日本人はアメリカに怒らないんだ?」と言ったとか。
そうかもしれません。
でも、やはり日本人として多くは語れない気がします。難しいですね。
ボリビアから遺骨が還ってきたときの棺だと思います。
カメラを向けていいものか考えてしまいました。
帰ってこられてよかったね。
ゲバラは生まれたときはアルゼンチン人だったけどキューバ人になって、結局は「ラテンアメリカ人」「人間」という大きな括りの人だったのだと思います。
ゲバラの執務室でしょうか、こちらも展示室と同様に細長い部屋です。
(展示ギャラリーと並行した位置にあります)
重厚な机。
デスクワークもゲリラ活動もどっちのイメージも湧いてきます。
本当にゲバラって仕事人間だなあ。
ゲバラの部屋(?)から外に出ると、城壁と大砲があります。
モロ要塞のような高低差はそんなにないのですがとにかく広い。
大砲はやはりこちらの方が新しい感じがします。
フィデル・カストロもこの場所に立ったのですね。
何というか、背負ってるもののの重さを感じます。
そしてやはりめちゃくちゃカッコイイ爺様だと思います。
カバーニャ要塞から見たモロ要塞。
ハバナ自体が異世界っぽい街並みですが、特に要塞と海は眺めているとタイムスリップしたような気分になります。